管理人(その1)の「あきー」です。
先の記事の補足です。

前回、
『こちらから話をしたときに、間髪入れずに(深く考えること無く)「でも~」と返す人』は、「論理が通用しない」
というのを書きましたが・・・
一方で、上記のような『論理が通用しない人』が、
「自らを(=自分の感情を)正当化するために、『論理っぽいもの』を捏ねくり回す」
というのも、
よくあることです。
要は、
「でも~・・・、だって~・・・、なぜなら~・・・。
だから私の『でも~』は正当なんです!!」
みたいなことをやるわけですね。
こうした『感情を正当化するための論理もどき』と、正当な『論理的思考に基づいた反論』は、きちんと分けて理解・対応することが必要です。
別の表現をすれば、
「『論理もどきを振りかざす人』相手に、論理や理論で対抗しても、徒労に終わる」
と、いうこと。
これまた先の記事の最後の方で書きましたが、
「『宗教の世界』というのは、信じたいものありきで、理論は後付け(こじつけ)」
です。
そして、『感情の正当化』というのも、
「正当化したいものありきで、理論は後付け(こじつけ)」
という点で、
同じ構造をしています。
ぶっちゃけ、
「『感情を正当化しようとしている人』に対して、論理や理論で説得に掛かるのは、宗教家を改宗させるのと同じくらい無謀なこと」
と、思っておくくらいでちょうど良いでしょう。
よって、「でも~・・・、だって~・・・、なぜなら~・・・」という『論理もどきを振りかざす人』に対する妥当な対応としては、
「無視」
が正解です。
・・・で、タイトルの話に繋がるのですが、
「2秒以内に返される「でも~」は、『感情レベルの反射・反応』だと思って対応すると良い」
です。
ここでの「2秒」というのは、あくまで『目安』に過ぎませんが、
実際のところ、
「伝える側の話の内容を理解し、
自分の持っている理論や知識と照らし合わせ、
矛盾点や反証を思い付き、
それを筋道立てて表現しようと試みる」
というのを頭の中で処理するというのは、
「脳に対して、かなりの負担が掛かること」
です。
そして、脳科学などの世界では、
「左脳は論理、右脳は直感」
「右脳の処理速度は、左脳の処理速度に比べると、はるかに速い(=左脳の処理速度は、右脳の処理速度に比べてとても遅い)」
などと言われたりしますが、
「情報を論理的に解釈して、論理的に反論する」というのは、明らかに『左脳』の担当領域であり、
「間髪入れずに「でも~」と返せるのは、『左脳』を通らずに(=論理的解釈を行わず)反応しているからこそできること」
だと言えます。
・・・まあ、実際は、単純に右脳左脳と分けられるようなものではないと思いますが、
「相手に論理が通用するかどうか」の『判断基準の1つ』として、
「不自然なほど反応が速すぎないか」
というのを用いるのは効果的なのでオススメです。
あともう1つ、
「「でも~」が速すぎるのは、途中から、こちらの話を聞いていないから」
という可能性も高いもの。
最後まで相手の話を聞いた上で理論的に考えて反論したわけでは無く、
話の途中で聞くのを止めて、「どうやって反論するか(=どうやって自分を正当化するか)」に全力を注いだからこそ、
話の区切りが付くか付かないかの時点で「でも~」という言葉が出てくるわけです。
そして、『話を聞かないモード』に入っているわけですから、その後でいくら論理的・理論的な説明をしても、全スルーです。
と、いうわけで、そうした『「でも~」を振りかざす人たち』に対していくら言葉を尽くしても無駄なので、
論理的・理論的な説得や説明は諦めて、
『無視』するか、
あるいは、『論理”以外”』(強制力、権力、目先の利益、承認欲求の充足)での説得に切り替えるのが望ましいと言えるでしょう。


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