自分のことを『人見知り』だと勘違いしかけていた話

さまログ

管理人(その2)「さま」です。

もともと「人見知り」とは縁遠い性格で、
学生時代のアルバイトも接客業やテーマパークのキャストをしていました。
道で知らない人に声をかけられることが多いし、何かの集まりでも初対面から愛想良く会話できるタイプです。

そんな私ですが、30代半ば、
時折「人見知りなので…」とうっかり自称してしまう機会が何度かありまして、
それを申告した相手には「ああ〜確かに〜」と肯定される始末。

もしかして、人見知りが本来の自分の性格で、これまでは我慢をして演じてきたのだろうか…?と
考えたことがありました。

ここ数年は、大人数の集まりや親しくない人に会う機会がほぼなくなったので、
このことをすっかり忘れていたのですが、
改めて考え直してみたら、自分でも驚くことに気づいたんです。

普段、仕事をしている時や、その場の目的がや役割が明確な集まりなどでは、
誰とでもそれなりにうまくやることができるんです。

私が過去、「人見知り」になってしまっていた場というのは、

・セミナーやワークショップなどで、自分の体験や感想をシェアする時
・望んでいない相手と、メンタル・フィジカル問わず、親密な関係をすぐに築かされそうな時

わかったんです。
人見知りじゃなくて、拒絶なんです。ただただ、嫌だったんです。苦笑。

当時、いろいろなセミナーやワークショップに行っていたのですが、
大抵、近くの人とのシェアタイム、自己紹介タイムがあったんですよね。
普通の習い事であれば、当たり障りない話をすればいいので問題ないのですが、
心理カウンリングや各種セラピー、自己啓発といったジャンルでは、プライベートな話をする必要があります。

「こんな初対面の人と深い話なんてしたくない」「この人と親しくしたくない…」などと、
内面を吐露したり、親しくなりたいと思えない相手に対する『拒絶感』が人見知り的態度として発動していたのですね。

あれかもしれないです。
強いストレスに対する自律神経の働きである、「闘争・逃走反応」です。

(本当はこの二つだけじゃなくて、『凍りつき』反応もあるんだけどね)

もちろんあからさまな言動はしないけれど、表情が固くこわばり、口数は極端に減っていたと記憶しています。
身体は逃げられないけど、心は逃げていたんだと。

「本音を誰にも言いたくない!」と心を閉ざしているわけではないけれど、
誰にでも話したい、誰かに聞いてほしい、とは全く思わないんです。

「どうせ誰もわかってくれない」といじけてもいないんですけど、
うっかり本音をそのまま漏らしたら、だいたい理解されず、むしろ面倒なことになるので、できれば黙っていたい。

徐々にシェアタイムなどを苦痛だと感じるようになっていたので、
なるべくそういう場を避けるようになったのですが、
「手帳セミナー」とか「講演会」みたいな、こちらが受け身参加で油断している時に、
何の気なしに突然発される

「あなたの目標(悩み、体験、やりたいこと…etc)をシェアし合ってください!」

みたいな質問も、言いたくないし、目標なんてないし、急に聞かれて適当をでっち上げるのも大変、
結構苦痛な時間でした…(遠い目

つまり、日頃の自分らしくないあの一連の『人見知りムーヴ』は、

「人見知り」じゃなくて「関係の拒絶(逃走反応)」だったのでは、

ということに、今気づいたのでした。

 

ここ数年は、嫌なことは極力しないで済むように努力してきたので、
今この『人見知りムーヴ』が出ることはほぼないです。

もしそれが起きたとしたら「あ、嫌なんだな」というサインと受け取り、
なんとか離れるように上手くやっていこうと思ってます。

それにしても、人見知りと自認しかけたのは、大きな勘違いでした。
危ない危ない。

誰にも言えないけど「自分は世界一バカだ」と思っているあなたへ

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