管理人(その2)「さま」です。
片付けの話ばかりをしていますが、
もともとそこまで片付けられないわけでも、掃除をしていないわけでもありません。
だけど、片付けてもあんまりスッキリした感じがしなかったし、
休みごとの掃除がとても面倒で仕方なかった(やるけども)。
つまり、自分の家や生活に愛着が持てていなかったんですね。私。
どうにかしたいなあ…とたくさん本を読んだものの、
動くこともできず、途方に暮れる日々が続きました。

「あきー」の記事にもちらっと書いてありますが…
たまたま目にした一般の人のブログだったり、
一回り以上若いエステの担当者さんの何気ない一言だったり、
掃除とまったく関係のないエッセイ本に、著者の友人として一行だけ出てきたり、
流しっぱなしにしていたラジオ番組のゲストのトークだったり。
専門書やセミナー、あからさまなSNSの投稿ではない、
ただただその人からポロッともたらされる『いつものルーティン』に、私は突き動かされました。
・毎食後、皿洗いの一環として、換気扇(カバーを外した中身)まで洗う
・毎朝4時に起きて、全部の部屋の床を拭いてから6時スタートの仕事に行く
・オールシーズン、計10着前後で暮らす。それでいて毎日オシャレで、その人らしさを損なわない素敵な装いで過ごす
・家にいるときはほとんど掃除をしているイタリア人男性
・毎日のトイレ掃除は天井の換気扇や壁も拭きあげるという、お掃除大好き芸人さん
自分と段違いのレベルの人の存在に衝撃を受けた私は、とにかく手当たり次第、モノを処分しはじめました。
毎週日曜日は『片付けの日』と決めて、やったことや捨てたモノを記録しながら、
気づいたところから家中をぐるぐる片付け続けました。
掃除については「毎朝必ず掃除機をかける」ことから変えました。
掃除機がけだけをしているうちに、他の箇所が気になるようになり、あちこち手を広げるようになりました。
(ちゃんとした掃除は日曜日の片付けと一緒にしていた)
続けること数ヶ月、片付けも掃除も限界までやったぞ!と思えた途端、引っ越しすることになりました。
身軽な引っ越しのためにさらにモノを減らして、新しい家に移ったものの、
「やっぱりこれも要らない」「あれも減らそう」「あそこも掃除したい」「ここも気になる」とさらに加速し…
掃除が簡単に終わる、がらーんとした部屋になりました。

とても愛しています。
この部屋を眺めて「そうか…自分はこうしたかったんだ…!」とやっと気づくことができました。
あんなに面倒だと感じ嫌々やっていた掃除が、今ではストレス解消や気分転換の手段となりました。
自分でも別人のようだと思います。
母なんて驚愕してましたもん。
↓
勝手に「出来ない」と思い込み、ただやっていないだけの自分が恥ずかしくなってくる
↓
「これはまずい」と焦り、必死に実行し出す
↓
習慣化する
このループを繰り返しているうちに、
自分ではうまくイメージすることができなかった『やりたいこと(やりたい生活)』にたどり着くことができました。
要らない物がなくなったら、自分が好きなものか必要なものしか残りません。
(もし全部好きじゃなかったら何も残らない可能性はあるけど)
まめに掃除と片付けをしていれば、毎日きれいな部屋で過ごせるんです。
今ならわかるんです。私が「すごい…!」と触発された人たちは、それを知っているから、
当たり前のようにやっていたんだろうなあ、ということが。 動いていかないと、見えないものってあるからね。
とにかく自分が動けるきっかけになる、本でも人でもモノでも作品でも言葉でも、見つけられるといいなあと思います。
ちなみにあんなに読むだけで終わってしまった「片付け本」ですが、
ここ数年は『カンフル剤』として楽しく読んでいます。
体験談など読んでいるうちにテンションが上がってきて、
途中で本を投げ捨て、そのまま引き出しの片付けに突入したり、あれこれ捨て出します。
本がなくても片付けるんですけど、
外側からの刺激として活用しています。
好きな音楽聴いて片付けるのと似たような感じですね…



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